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【イベントレポート】きょうだい茶話会@札幌(第3回)(2019年6月30日)

NHKのカメラが入り、勉強会の後ということもあって、少し固い雰囲気の中での開催でした。
机の配置なども、話しやすさ、雰囲気に影響があるなぁと改めて感じた回でした。
新しい方も多く、遠方(釧路、帯広)からの参加もありました。
参加者の皆様、取材へのご協力ありがとうございました。
(※同日開催の「親なきあと勉強会」は別記事でまとめています。)

きょうだいとしての育ちについて

親を独り占めしたいと思うことがあった。
キョウダイの見張り役のようにもなっていたし、優等生として、「いいお姉さん」をずっとやってきた。

キョウダイはいたけど、行きたい大学にも行かせてもらったし、やりたいこともやれてきた。
これからもそうでありたい
と思う。

親に対して、かまってほしいという気持ちがあって、親に認めてもらえないとダメだ、勉強も100点じゃないとダメだ、と思い込んでいた。
そうしているうちに、精神的に辛くなってしまった。
今は、好きなことをしている。
早い段階で気づくことができてよかった
と思っている。

キョウダイがいない人生というのは、考えにくい。
「自分の方が上のきょうだいだし」という使命感を持って生きてきたと思う。
キョウダイがいたから気付けたと思うこともたくさんあると思う。
ただ、キョウダイのことばかりでもなく、自分の趣味もあって、お城を見るのが好きなので、お城を巡るボランティアをやりたいと思っている。

10年間、キョウダイのことをやってきて、結婚もせずに。
キョウダイのせいではないんだけど、キョウダイのせいにしている自分もいて。
でも、キョウダイのせいにするのをやめた。
最近結婚して、我慢していたバイクを買った。
キョウダイをサイドカーに乗せて走りたいなと思っている。

キョウダイも含めて「自分らしい」人生として統合できればいいと思っている。
高校生のときに、親から「キャンプにはキョウダイを一緒に連れて行け」と言われてキレたことがある。
そのときに「福祉絶対ヤダ」になった。
でも、時が経って、いろんな人と出会って、世の中には障害者に対して偏見のない人もいる、とわかってきたときに、色々と吹っ切れて、自分の意思でキョウダイのサポートをできるようになった。

親なきあと、キョウダイの死について

自分が専門職ということもあり、親が亡くなった時の話はちゃんとしている。
こういうことは家族間できちんと話をしておくことが大切。

入所施設は満床になってきている。

障害の程度が軽いと、制度の対象として当てはまらないという問題があると思う。
一人暮らしも可能なんじゃないかというレベルでは難しそう。

キョウダイがもし自分より先に死んでしまった場合は、葬式をどうしようか…と考えることがある。

自分のキョウダイの葬儀には、いろんな人がきてくれた。
とても多くの人、100人くらいの人が来てくれた。

自分のキョウダイの葬儀を親は「要らない」と言ったことに腹が立って、自分が押し切って行うことにした。
キョウダイが通っていた施設のスタッフや、これまで縁のあった先生方も集ってくださり、親も自分の思いを他人に聞いてもらうことができた。
結果的に、きちんと葬儀を行ってよかったと思う。

きょうだいへの支援、サポートについて

実家とは遠いところに住んでいる。
簡単なお便りみたいなものでいいので、きょうだいにも様子を知らせてもらえると嬉しいと思う。

自分はキョウダイの近況について、ケアマネジャーからメールでもらうようにしている。
頼めばやってくれる人もいるのではないか。

インターネットが使えなくても、きょうだい会やきょうだいの支援があるということを、自分で知ることができたらよかったと思った。

アンケートから

他の方の意見を聞いて自分が自覚していなかった思いや気持ちにも共感し、気がつくことができ、話も聞いてもらうことができ、すごく気分がはれやかになりました。

今回、途中で帰ってしまうため、もう少しいて話したかったですが、様々な情報や話をきけて、何だろう・・・こう少し心が軽くなりました。

初めての参加でしたがとても和やかで充実した会でした!

幅広い年齢の方がいて、その人その人の想いを聞くことができました。共感できることも多く、自身でも気が付かなかった思いに気がつくことができました。
親に言えないことが言えてよかったです。

総括

この回も含め、NHK札幌放送局の取材を受け、「おはよう北海道」で「知られざるきょうだいの苦悩」として、5分間の特集にまとめていただきました。

家庭によっては、それぞれの家族が自立を目指していて、きょうだいに特に大きな負担がかからず、自分の好きな道を歩むことができているところもあります。

一方で、親による虐待に相当するようなケースもあり、精神に変調をきたし、社会適応が困難になるきょうだいもいます。

言葉として求められていることはもちろん、言葉にしなくても求められていると感じていることなど、子どもの感受性、賢さを、軽く考えてはいけないと思います。
子どもの育ちにおいて問題が起きたときに、子どもと親との関係のみを見るならば、子どもにとって圧倒的強者であり、絶対的存在であり、養育者である「親が悪い」ということは正しいのです。
しかし、家庭の外を含めて考えたときには、単純に「親が悪い」わけではないことも、同時に明らかなのではないでしょうか。
これは障害者のいる家族に限ったことではないですが、家族の中の誰かに負担が偏ることのないように、家族それぞれの自立のためのバランスがうまくいくように、家族にとって、障害者にとって頼れる存在となる隣人、専門家、制度などが充実していくよう願っています。

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