クリスマスシーズンの茶話会でした。
1周年の感謝をこめて、参加してくださった方に代表からささやかな贈り物をしました。
お話しのテーマは「年末年始の思い出・悩み」で始めてみました。
親との関係
・年末年始も、あまり実家に行かない。親との関係が良くないことが理由。親が一人でキョウダイの介護を担っていて、自分は、そのストレスのはけ口になっていた。自分はまだ独身だけれど、家族とは別々に暮らしている。距離を置くことが必要かなと思う。
・母親に対して、自分の本当の気持ちをぶつけられずに長く生きてきた。その中で起きたことは、自分に近い人(配偶者など)に、その気持ち(母への反抗心や怒りなど)を代わりにぶつけてしまうということだった。母親のことは、ずっと、大好きだと思いこんでいたし、「お母さんが死んだら私も死んじゃう!」とまで思っていた。母の苦しみを取ってあげるのが、自分の役目だと思っていた。
・ひどくいろいろなことに悩んでいた時、自分から、「精神科に行きたい」と親に言ったが、親が精神科の疾患に理解がなく、医者に行くことができなかった。
障害者、障害に対する思い
・キョウダイ以外の親戚にも、障害者がいる。年末年始などに親戚の家に行くと、その人もいるというような環境。でも、親戚たちはその障害者のことを他人に見られたくないと思っていたようで、近所づきあいもしてこなかった。それが原因で、困っていたり寂しい思いをしたりしている人もいる。
・小さい頃は、キョウダイのことを受け入れられなかった。でも今はとても好き。大人になってから受け入れられるようになった。ただ、好きではあるけれど、同居するつもりではない。かといって、施設に入ることになれば、キョウダイは寂しい思いをするのではないか、と葛藤したりもしている。できるだけお互いに良い方向に行けば、と思っている。
・距離を置く、ということでは、強い思いがないと、東京など、道外へ行くという選択はなかったと思うけれども、自分の中で、どこか、無意識に、キョウダイの面倒を見なければならないと思っていた。
学校という場所
・重複障害のキョウダイがいる。小学校の時、転校した先で、嫌がらせを受けた。他の学年に、同じ苗字の変な奴が転校してきた、というので。そして不登校になった。保健室登校を検討したが、保健室も、いじってくる人たちの溜まり場だった。仕方なく、校長室へ通うという対応になった。
給食は校長室までクラスメイトが運んできた。そういう形でなんとか登校を続けて過ごした期間がある。そのあと、また教室へ通おうとしたが、「なんで今更来るんだよ」という空気になっていた。クラスへ入っていこうとすると、いじめが始まった。
12歳くらいなのに、自殺してやろうと思っていたこともある。でも、インターネットがあって、支えになってもらえる部分があったり、高校まで頑張れば、なんとなくいけるという気持ちがあった。委員会、生徒会などに所属して、自分を奮い立たせるようにして学校へ行っていた。
大人になってからも休みがちな部分がある。有給休暇などは、すぐに使ってしまう。
参加しての感想
・思っていたより和やかな空気でなじみやすかったです。(初参加の方)
・どんな世代でも、同じような悩みを抱えて生きてきたんだな・・・と(私も小、中、高とたくさん苦しい思いをしたので)”きょうだい”として、やはり似た悩みを抱えているのだと気づかされ、今日もどこかで、同じ”きょうだい”の方ががんばっている、という事実に励まされます。
・親元を離れることの必要性に同意しました。
・小中学校時代にあった嫌な出来事、きょうだいに関することは、案外みな同じように持っているのかもしれないなと感じた。
・今年一年参加して、自分やきょうだいや障害のことについて理解が深まった気がします。
・キョウダイと同じ学校に通うということが、きょうだい児にとってどういうことか、久しぶりに生々しく記憶が蘇りました。話せる場はやはり必要ですね。
総括
今回の茶話会でも、集まった方達がたくさんお話ししてくださいましたが、掲載不可のため、載せられる部分が少なくなりました。
当会には、告知方法の都合上、成人されている方が多く参加されてきましたが、深い悩みの中にいるのは、子どものきょうだいも同じかと思います。
どのような形にすべきか、まだはっきりと見えてはいないものの、子どものきょうだいの支援を進めていきたいという思いがあらためて強くなりました。
終了後、帯広の会を取りまとめてくださる方と夕食をご一緒して、今後のことについて話し合いました。
結果、帯広の会は「北海道きょうだいの会 とかち支部」として活動をスタートすることとなりました。
次回は2020年2月2日、帯広と札幌で同じ日に茶話会が開催されます。
みなさまどうぞお気軽にお越しください。