6月もコロナが終息せず、オンライン茶話会となりました。
今回は前回にも増して、道外からの参加が多かったです。
オンラインイベントが各地で持たれているのに参加してみて、地域性だったり、会の主催者の背景によっていろいろな雰囲気になるよね、という会話にもなりました。
前日のオンライン飲み会もマンガの話で盛り上がったりして、楽しかったです。
きょうだい支援への思いと現実
・若いときからきょうだいの問題をなんとか自分なりになんとかしたいと思っていた。
個人的に、ドンキホーテみたいに活動をしていたが、うまく行かず。
初めは、障害のある子供の支援をしていた。
きょうだいを助けるためには、親を支えないと、と考えて、親を支援する活動に着手しようとしたが、なかなか難しかった。
そうこうしているうちに、ある地域のきょうだい会に行ってみたが、その時はあまりいい思い出がない。
いろいろ大変な日々があり、気づけば今に至る。
・地域性というのはあるが、主催者の生い立ちで会の雰囲気が全然違って、面白いなと思っている。
主催者が幼少期からずっと生活にも困窮したり、親も大変だったり、という会では、切羽詰まった方が来ることが多い。主催者の年齢にもよると思う。
自分はいろいろと苦労したので、人と出会ったら、助けられる部分は助け合いたいという気持ちがある。
20歳くらいからボランティアなどやっていたこともあって、人を支援するというのが常識のような気持ちできたが、きょうだい会の参加者が全員そういう感覚があるわけではない。
せっかく経験したので、経験したことをお知らせすることはしたいと思っている。例えば、地域の相談窓口すらも知らない人も多いので、そういう人には教えてあげたい。
・参加している人が、今までどういう生い立ちで来たかによっても、会の雰囲気は変わると思う。
自分はこうしたいんだ、というのがあっても、相手には伝わらない、というので、空回りする、ということがある。
人同士は分かり合えなくて、わかり合おうとするには、自分から近づいていかないとわからない。
話が噛み合わないとイラッとすることもあるが、それはそれでいいかと思っている。
きょうだい会に参加していて、熱が伝わらないなと思うことがあるかもしれないが、合わないな、と思う人がいても、話を聞いて行ったら、楽しめると思う。相手を知って行ったらいいのではないかと思った。
・いろいろなきょうだい会に参加することは、全国温泉巡りみたいな感じで、この温泉にはこの効能がある、そちらの温泉にはまた違う効能がある、みたいな感じかもしれない。
・今、毎週のようにオンラインきょうだい会に参加している。普段、きょうだいの方と話す機会がないので、申し込んでみたら毎週になっていた。参加者、主催者によって雰囲気は全然違う。
・きょうだいを知ったからよかった、仲間がいてよかった、と思う人もいるが、「きょうだい」として区別される存在なんだ、という複雑な思いもある。
生きる上での取り組みに対する困り感
・論文のテーマに「きょうだい」を入れたことでしんどかった部分もある。
キョウダイが亡くなったときに、自分だからこそできることがあるのではと思った。
一つ論文を書いて、自分の気持ちに区切りをつけようと思ったところがあるのかもしれない。
・家族との関係、家庭の中での立ち位置によって、困り感はそれぞれ持っていると思う。
きょうだいどうしでも、障害種別によってきょうだい会を分ける方がいいんじゃないかとか、みんな一緒でいいんじゃないか、とか、意見がいろいろで、なぜそんなにいろいろな考え、温度差があるのかなと思ったりしたが、それは家庭の中での役割によって感じ方や求めるものが変わってしまうのだと思う。
・キョウダイのことを誰にも言ってなくて、これは人に言ってはいけないことなんじゃないか、と自分のなかで勝手に思っていたところがある。
キョウダイとは学校が別々で、知っている人がいなかったので、自分から言わなくなった。
自分も身バレしたく無かったんじゃないか、というのが、他の人の話を聞いていて、わかった気がする。
・きょうだいの研究をしようと思っているのは、あらためて、向き合う必要があるんじゃないか、と無意識的におもっていて、それでやろうかと思ったのかもしれないな、と思う。
・実家で、自分らしくあることが許されていない、という感覚を持つことが、きょうだいには多いかもしれない。
・いじめがあったのがトラウマになって、それがバレると何か悪いことが起きるんじゃないかと思って、身バレが怖い、周りの反応が怖い、というのがあるな、と思った。
「きょうだいだから」VS 専門性
・障害者と関わる仕事をしているが、きょうだいがいるから対応が上手いんだね、というのが嫌だ。
職場では、きょうだいだからではなくて、一人の専門性を持った人間としてみて欲しい。
・きょうだいとしてみて欲しいという気持ちの時と、そうではない時とあって、場に応じて、自分で調整するということもある。
・職場に、キョウダイを知っている人がいて、〇〇さん知っているよ、と言われた。あまり知られたくなかったな、と思ったりはしている。場所によっては、分けたいと思って、なるべく、きょうだいとしての自分というところと、仕事の自分というところで、分けたいと思っている。
他人と自分
・居場所がない、というのは、自分には無かった。なので、自分は理解ができない。
きょうだい会に行くと、そういう人は多いが、自分には全く理解ができない感覚。
親の育て方がうまかったのかもしれない。他のきょうだいの感覚を分かりたいと思う。
・自分がひどい目にあったので、そういうことのないように、自分の子供にまで気を使いすぎていることがあるかもしれない。他人から指摘されて過剰になっている自分に気がつくこともある。
・悩んで悩んで行き着くところまで行くと、ある日突然、ふっと気がついて、どうしてこんな感情持ってるんだ?と、自分を空からみているような感じになり、その頃から、他人に怒ることを続けることがあまりなくなった。
・「悩みを持っていないきょうだい」もいるのではないか。
スーッとうまくいっている人たちの話を聞きたいな。と思うことはある。
きょうだい会に参加したいという気持ちすら起こらない、悩まない人というのの話を聞きたい。
問題ってたくさん、色々あって、同じような問題をこれまで解決してきた人もいるのに、その経験知はどこへ行ってしまうのか?
・親は親なりにすごく気を使ってくれて、自分が人前に出る機会があれば、キョウダイを預けてみにきてくれていたりしたことを感謝しているが、体験を共有したい、他人の話も聴きたい、という気持ちできょうだい会に参加していることについて、親から否定的な印象の言葉があると、複雑になったりする。
自分をケアしてくれている部分と、障害者のことをよろしくね、みたいなことを言われる部分があるので、どっちだろう?みたいな、ありがたさと、モヤモヤ感があった。
・自分の子供が障害を持って生まれちゃったらどうしよう、どうするんだろう、と、今のところ整理がついていなくて、踏みとどまっているところがあったりもする。仕事や勉強や趣味に情熱を注いでいるが、友人たちが子供を持つようになってきて、複雑な気持ちになることがある。
・色々なきょうだい会に参加して、「ここだけしか居場所がない」というようにはしないようにしたい。
そこから抜けたいと思ったときに抜けづらくなるのはあまり良くないと思っている。
いろんな会があってよかったなと自分は思っている。
感想
・いろんな人がいるんだなと思った。対面でやった時ってどんな感じなんだろうと思った。
・初めての参加だったが、温かい雰囲気のもととても楽しい時間を過ごせた。参加できてよかった。
・他地域のきょうだいさんの話を聞く機会はそうそう無いので、とても有意義な時間を過ごせた。
抱えている悩みや不安は地域に関係ないと思う。
・本当にあっという間だった。みなさんと会うのは初めてだったので緊張していたが、自分と照らし合わせながら、色々考えることがあった。新しいきっかけをいただいた気持ちがある。
人のオーラは対面だと感じやすいと思う。対面も違った良さがあるなと思う。北海道にも行けたら行きたい。
・元々すごく喋る方だが、話がまとまるまでに、時間がかかる。人がいっぱいいるところに行くと緊張することもある。オンラインだとワンクッションおけるので、ありがたい環境かもしれない。全国の人とお話できるのも嬉しい。また機会があったら参加したい。
・ようやく、皆さんの背景が分かり、もっと深く聞きたい、あと5時間は必要だよね、という感じのところで終わってしまうというのが、毎回毎回、ゼロから始めなおさないといけないのが、いいような残念なようなのは、感じている。
これが対面だと、休憩の時間だとか、泊まり込みだと寝る前の時間などに、つつつと近寄って、個人的に話せるというのがある。
今日お会いした方達とまたお会いしたいなと思う。
おまけ
「言いたかったけど言えなかったこと」に記載いただきました。
・親やきょうだいに気兼ねなく、自分の好きなことして生きたほうがいいよー
きょうだいの人たちとお茶会!とテンションが上がっておやつ買いすぎたという方も、エアお菓子の方もいて、笑いが絶えませんでした。
zoomではその爆笑が拾えないのが残念と言えば残念だったかもしれません。
次回、8月の茶話会はオンラインではなく、対面での実施を予定しています。
参加者が集まるかどうか、賭けのような気持ちでもありますが、場所は確保しています。
オンラインでは、少し特徴のあるイベントを開催できたらと思っています。
いずれの形にせよ、また皆さんとお目にかかれるのを楽しみにしております。
引き続き、どうぞお元気でお過ごしください。