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【イベントレポート】きょうだい茶話会 2020年8月2日(日)

8月茶話会会場

久しぶりの対面での茶話会でした。

コロナ感染の心配がある状況下でどのような影響がきょうだいにあるのかについて話しました。
人数が少なかったですが、そのぶんいろいろと話ができて、少ない方がいいかもしれないという声も聞かれました。

近況報告・コロナの影響

・進学したが、コロナのせいで、まだ3回くらいしか学校に行けていない。

・なかなかオンラインとかそういうものをするのに二の足を踏んでいた。
思っていたよりも簡単で、楽しく参加できたので、これからはそういうものもやってみないといけないのかもしれない気がした。

・オンラインできょうだいのイベントに参加するのには同居している家族のことが気にかかる。なかなか話しづらいというか、自分の中に少し抵抗がある。

・移動などが減ってつかうお金が減っているつもりだったが、家で消費する食材費などがいつもよりかかって、そんなに減っていないし、ちょっとした「お取り寄せ」などをしてしまっている。

・実家に帰れない、施設などが面会禁止になり、札幌からはこないで頂戴、と言われたりしていて、6月の半ばくらいまでは行っていなかった。札幌や本州の人と接触すると、利用できないということになっていたりする。きょうだいのために何もしてあげられないストレスというのがある。

・自分はお出かけもしないし、手洗いもしてるし、かからないようにしているのに、すごく気を使っているのに、じゃあどうやったら会いに行っていいの?というところ。検査を受けて陰性ならばいいのか、陰性が出て2週間閉じこもってたらいいとかいう話でもないだろうし、どうしたら会えるのかというところが、全然見えてこないのがつらい。

家に家族みんながいるのがストレス。きょうだいがゲームをずっとやっている音とかが、家にいるとどうしても耳に入ってくる。

・たまに実家に行くと、頻繁に来ないことについて怒られる。きょうだいがマスクをしないで出かけて行って、コロナうつって帰ってきたらどうするんだ、というので親がカリカリしている。

 

親についての話題

・親ときょうだいだけで住んでいるというのがとても心配。施設などで、誰か第三者がみてくれているというのが羨ましい。

施設=悪、という頭の親なので、難しいことがたくさんある。

・実家へ行かなくてもいいんじゃないんですか、と気遣われたりもするが、行かないなら行かないで、罪悪感みたいなものを感じてしまう。感じなくていいと頭では思っていても、放っておいていいのだろうか、というように感じてしまう。きょうだいを含めて家族で殺し合いなどをしていて全員が死んでいたらどうしよう、という不安もあったりする。誰かのせいというわけではなく、自分のこころのことだとは思うが、なかなか変わらない感覚。

自分は自分のことで精一杯な感じがするので、まだ、家族の先のことなどは、考えられていない。

・きょうだいに迷惑をかけないようにしようと思っている、という親は、昔よりは多いけれど、今は困らない状況でも、10年後、いろいろと状況が変わったあとも困らないか、というのを考えてくれていない親もいるのではないか。

・困らないようにしておく、と言っていたとしても、結局やることは何かしら出てくるので、それなら、一緒に考える、というのが大事なんじゃないかと思う。

・預金の管理なども、自分が代わりにできなかったとしたら、自分の持ち出しになる。母が、父が死んだ後に、いろいろとちょっとずつ進めてくれていたのは助かった。

・何を迷惑と思うか(思わないか)は、一概に言えず、個人個人の受け取り方や価値観による。(親の)独りよがりの判断ではなく、コミュニケーションする必要があると思う。

・(親との)話し合いはできそうでできない気がしている。

・親以外の親戚や、専門職の方に相談すると、親とはちがう考え方で自分の味方になってくれることもあるので、親が全てではなく、自分の考え方でいいんだなと思うことができた。

 

障害のないきょうだいの存在について

・障害のないきょうだいは、かえっていない方がいいのではないか。いたらいたで嫌なこともある。

・自分には障害者のきょうだいしかいないので、障害のないきょうだいがいる人のことを羨ましく思っていたが、そうでもないこともあるのがよくわかった。

 

カミングアウト・周りの人への相談

・今まで周りの人に言おうと思ったことがなかった。今いる場所はそういう話を受け止めてくれそうな人が多いということもあって、少しずつ他人にも話そうと思い始めたところ。

偏見とかそういうことが怖かったので、言えなかった。精神障害というものは、それまで普通だった人が急に変わったということで、余計にそういう部分が気になってしまった。年齢を重ねると、言えるようになってきた部分がある。

・若い頃は話してくれなかったが、最近になって、自分も「きょうだい」なんだと話してくれた友人もいる。なんでもっと早く話してくれなかったのかと思うこともある。

・ある程度の年齢になったが、今の年齢になったらそれはそれで、悩むことはある。これまで生きてきて、自分の若かった頃と比べても、障害者とその家族の置かれている状況というのは、あまり大きくは変わっていないような気もしている。

 

社会について思うこと

・お金や能力などについて、人と比べてどう、ということを考えることはなくならなさそう。自分が優位だということを確認してしまう、それで安心しているところがある。それが人間の限界なのかもしれない。

・差別をしている側はそういう自覚がないというか、それはそういうものだ、という認識しかないのかもしれない。

・差別をする側の気持ちというのは私たちにもわからないのかもしれない。生まれた家族がそういう家族だったので、障害者のいない家族で育った人の感覚がわからない。自分自身も半分くらい障害者であるような気持ちになっている気がする。

 

きょうだい会について

・同じ「きょうだい」という立場でも、自分とちがう考え方に触れて、自分は自分でいいんだと思うことや、新しい視点を得ることができて、興味深いと思う。いろんな考え方ができて、クヨクヨする人もしない人もいて、年代がちがう人の意見も、自分の凝り固まった頭が解れる感覚を得ることもある。

・同じ立場(きょうだい順位・障害種など)の人と、「あるある」を共有できるととても嬉しい。

   

主催者から

ジェネレーションギャップについて、「ワープロ」を知っているかという話題や、生活上のちょっとした愚痴などもありました。
zoomなどオンラインのイベントでは一人が喋っているのをみんなでじっと聞いている形になるので、雑談がしづらいというのもあります。
どうでもいいことを話せるのは大事なことだな、とあらためて思いました。

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